阪神・淡路大震災の記憶|今も1月16日の夜に眠れなくなるという話
1995年1月17日、午前5時46分。
淡路島北部を震源とする、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生しました。
後に「阪神・淡路大震災」と呼ばれることになる、あの大きな地震です。
この地震の体験談を、ある方から聞いたことがあります。
その方は、朝方、突然のすさまじい音と揺れの中で目を覚ましたそうです。
何が起きているのか分からず、ただ恐ろしくて布団をかぶっていたといいます。
しばらくして音が少し落ち着き、そっと布団をのけると、顔の上に何かが覆いかぶさっていたそうです。
それを払いのけて目を開けると、目の前には満天の星空。
「ここはプラネタリウムなのか?」
一瞬、本当にそう思ったそうです。
体を起こすと、今度は目の前に屋根瓦が見えた。
家の中にいたはずなのに、空が見えて、屋根瓦が目の前にある。
何が起きたのか。
自分はどこにいるのか。
すぐには状況が飲み込めなかったといいます。
やがて父親が大きな声で家族の無事を確認しました。
けれど、家はすでにがれきのような状態。
家族は声を掛け合いながら、互いの居場所を確認するしかなかったそうです。
4人家族のうち、自力で外に出られたのは2人だけ。
残る家族は、声だけを頼りに、どのあたりに生き埋めになっているのかを探すしかありませんでした。
無事だった近所の方々の手を借り、ジャッキも使いながら、ようやく救出できたそうです。
その後、少し離れた知り合いの家へ避難する道中で、さらに不思議な感覚に襲われたといいます。
「え? 車が走っている」
「バスが走っている」
「電車が動いている」
自分のいた場所では、家が壊れ、家族が生き埋めになり、生死の境にいた。
それなのに、少し離れた場所では、まるで日常が続いているように見える。
一体この国はどうなっているのだろう。
頭の中が混乱して、現実をうまく受け止められなかったそうです。
避難先でも、足音がパタパタと響くだけで「また地震ではないか」と身構えてしまう。
そんな状態が長く続いたと聞きました。
そして今でも、1月16日の夜になると、なかなか寝つけないそうです。
この話を聞いた時、地震というものは、揺れが収まったら終わりではないのだと感じました。
家が壊れる。暮らしが壊れる。
そして、心の中にも長く残り続ける。
私自身も、あの日のことはよく覚えています。
我が家は岡山県と兵庫県の県境に近い場所にあります。
海の埋め立て地に建っているため地盤がゆるく、大型トラックが通るだけでも家が揺れることがあります。
そのため、普段から震度1や2くらいの揺れには、あまり驚かなくなっていました。
当時、私は鉄筋コンクリート3階建ての3階で寝ていました。
地震が起きた時、3階は相当揺れました。
揺れるというより、家ごと動いているような感覚でした。
まるで蒸気機関車の客車の中にいるような、
ガッタンゴットン、ガッシャンゴッションという大きな音。
「ここは家の中よな?」
「家ごと流されているのではないか?」
「このままどこかへ運ばれていくのではないか?」
そんなふうに思ったほどです。
幸い、私の住む地域では大きな被害にはなりませんでした。
けれど、地震と聞くと、今でもあの朝の揺れと音を思い出します。
阪神・淡路大震災から長い年月が過ぎました。
それでも、体験した人の中には、今もその前夜になると眠れなくなる人がいます。
災害の記憶は、年月だけでは消えない。
だからこそ、聞いた話も、自分の記憶も、できるだけ残しておきたいと思います。
※この記事は過去に書いた文章をもとに、現在の表現で整え直したものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿