あの時代、毛沢東語録は“触れてはいけない本”として多くの学校で禁止されていました。
けれど私の通ったお嬢様学校は、真逆のことを言ったのです。
「買いなさい。読みなさい。生徒を信じています」
その一言で、私の世界は大きく揺れました。
プロレタリア文学、小林多喜二、里村欣三、そして理不尽な大学入試。
今振り返ると、あの高校で過ごした日々は、時代の空気を真正面から吸い込んだ貴重な体験でした。
県下屈指のお嬢様学校で起きていたこと
県下屈指のお嬢様学校でありながら、私の高校には、今思えば驚くような教育方針がありました。
当時は学生運動が下火になりつつあったとはいえ、書店の入り口には毛沢東語録が山積みになり、ベストセラーのように売れていた時代です。多くの学校では「学生運動の再燃につながる」として、毛沢東語録の購入も読書も禁止されていました。私が高校2年か3年の頃のことです。
ところが、我がお嬢様学校は違いました。
「皆さん、毛沢東語録を買いなさい。そしてしっかり読みなさい。
ただし勘違いしないでください。中国がどんな思想を持っているのか、正しく理解しなさい。
私たち教員は、生徒を信じています。読むなと言えば、かえって気になるものです。」
先生方はそう言い切ったのです。
家に帰って話すと、親は驚きました。「どうしてそんな本を?」と。
しかし、私が「学校の先生がこう言った」と伝えると、父は母に向かって「わかった。お前は何も言うな」とだけ言いました。
教科書に載らないプロレタリア文学の授業
国語の授業では、教科書に載っていないプロレタリア文学についても隠さず教えてくれました。作家たちが当時どのような迫害を受けたのか、小林多喜二が取り調べ中に死亡し、荼毘に付した後の遺体から大量の畳針が出てきたことなど、衝撃的な事実も学びました。
先生はこう言いました。
「小林多喜二の『蟹工船』、読む機会があれば読んでみなさい。」
私は探して『蟹工船』を読みました。しかし当時の私は、
「これのどこが国家に反逆する文章なの? 国民の志気を下げるの?」
と、正直よく分かりませんでした。
里村欣三と「我が町」の名前が出た瞬間
授業では里村欣三の話も出ました。四国出身と偽っていたため、警察は長く正体をつかめなかったそうです。ところが実は、我が町の出身だったのです。
先生が地元の名前を口にした瞬間、ぼんやり聞いていた私も思わず目が覚めました。
プロレタリア作家の出身地が知られると、親兄弟まで取り締まりの対象になるため、迷惑をかけまいと四国と偽ったこと。招集令状が来たときも、周囲に迷惑をかけないよう出征し、そのまま戦死したこと。そんな話を教わりました。
もしこの授業がなければ、私は『蟹工船』を読むこともなかったでしょう。
プロレタリア文学を「ふるい」に使った大学入試
さらに驚いたのは、プロレタリア文学を“ある目的”で利用していた大学があったことです。
その大学は、入試の国語で
「プロレタリア文学について知っていることを述べよ」
という問題を出し、答えた受験生を点数に関係なく全員不合格にしたのです。理由は「思想に問題あり」。
当然、私も一緒に受験した友人たちも、十数人まとめて不合格になりました。
後に進学した短大で、その大学の元教授がこう話してくれました。
「学生運動が盛んな頃、どう食い止めるか悩んだ末の苦肉の策だった。
今思えば馬鹿げたことだが、当時は本気でそう考えていた。すぐに廃止した。」
時代とは、なんと不思議で不条理なものかと今でも思います。
苦痛だった高校生活が、今は誇りになっている
当時の私は、背伸びしてやっと入った高校で、言葉遣いもがさつで、周囲になじめず苦痛ばかりでした。
けれど今振り返ると、あの学校は時代に流されず、堂々と「生徒を信じる」と言い切り、隠さず教えてくれた。そんな教育を受けられたことを、今は誇りに思っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿