2026年7月3日金曜日

孫3人と大原美術館へ。夏休み最後の倉敷おでかけ

孫たちの夏休みも、もう終わりに近づいた頃。
孫3人を連れて、岡山県倉敷市にある大原美術館へ行ってきました。

我が家からは、車でだいたい1時間半ほど。
ちょっとしたドライブを兼ねた、夏休み最後のおでかけです。

行く前は、6年生の孫が、

「美術館なんか、どうでもいい」

というようなことを言っていました。

まあ、子どもからしたら、遊園地やゲームの方が楽しいと思うのも無理はありません。
けれど実際に入ってみると、その孫が思ったよりもじっくり作品を見ていたのです。

これは、ちょっと意外でした。

子どもの頃に見た「本物の絵」の感動

大原美術館は、倉敷美観地区の近くにある歴史ある美術館です。
エル・グレコ、クロード・モネ、アンリ・マティスなど、教科書や美術の本で見たことのあるような作家の作品が収蔵されています。

私が子どもの頃、書道の師匠に連れられて大原美術館へ行ったことがあります。
その時の感動は、今でも忘れられません。

教科書で習った芸術家の、本物の作品がそこにある。

「えっ、モネの睡蓮があるの?」
「ピカソの絵もあるの?」
「岸田劉生の麗子像も?」

子どもの私には、それが本当に大きな驚きでした。

テレビや本で見る絵と、実際に目の前で見る絵は、やっぱり違います。
色の深さや筆の跡、絵の前に立った時の空気まで、何とも言えない迫力がありました。

書道の師匠が教えてくれたこと

その時、書道の師匠がこんなことを言っていました。

「絵を見ることは、書道の作品を作る時にも参考になる」

子どもの私は、最初はよく分かりませんでした。
でも、師匠は絵の構図や余白、線の流れ、墨の濃淡に通じるものを、ひとつひとつ話してくれました。

絵画と書道は、別々のもののようで、どこか通じるものがある。
そのことを、大原美術館で教えてもらった気がします。

久しぶりに行くと、展示の印象も変わっていた

大原美術館へは、忘れた頃に何度か行っています。
けれど、今回行ったのは、私の子どもが小中学生だった頃以来かもしれません。

久しぶりに訪れると、

「こんな作品があったかな?」
「前と少し雰囲気が変わったな」
「この展示、昔は気づかなかったな」

と思う場面がいくつもありました。

中庭の大きなオブジェや、棟方志功の作品、工芸に関する展示など、若い頃とは違う目で見ることができました。

美術館は、同じ場所に行っても、こちらの年齢や経験によって見え方が変わるものなのですね。

孫の絵と美術館の作品が重なって見えた

中には、私の一番年下の孫が、家で自由に描いている絵を思い出すような作品もありました。

大人の目で見ると、子どもの絵は「落書き」に見えることがあります。
でも、美術館に飾られている作品の中にも、自由な線や思いきった色づかいのものがあります。

それを見て、思わず孫に言いました。

「自信を持ってええよ。あんたが描いとる絵も、なかなか面白いで」

少し変なほめ方だったかもしれません。
でも、子どもの自由な表現は、案外、大人が思っている以上に大切なものなのかもしれないと思いました。

エル・グレコの「受胎告知」を見ながら

エル・グレコの《受胎告知》の前では、孫が解説を読んでいました。

これは、キリスト教の聖母マリアに、神の子を身ごもることが告げられる場面を描いた宗教画だよ。信仰の物語として描かれた絵なだから、現代の感覚だけで見ると不思議に感じるよね。

私が少し説明すると、孫はきっぱりと、

「絶対ありえん!」

と言いました。

子どもらしい反応に、思わず笑ってしまいました。

でも、そこから「昔の人は、こういう物語を大切にして絵に描いたんだな」と考えるきっかけにもなります。
美術館は、絵を見るだけでなく、歴史や宗教、昔の人の考え方にふれる場所でもあるのだと思います。

子どもと行く美術館は、急がない方が面白い

本当は、ひとつひとつの作品をゆっくり見て回ると、一日では足りないくらいです。

けれど、子ども連れだと、時間配分も大切です。
あまり長くなりすぎると疲れてしまいますし、閉館時間もあります。

それでも今回は、孫たちが思ったよりも作品を見てくれました。
「美術館なんかどうでもいい」と言っていた孫が、じっと絵の前で立ち止まっている姿を見ると、連れて来てよかったなと思いました。

大原美術館は、親子三代で楽しめる場所

大原美術館は、大人だけが楽しむ場所だと思っていました。
けれど、今回孫たちと行ってみて、子どもにも子どもなりの感じ方があるのだと分かりました。

有名な絵を見て驚く子。
不思議な絵に立ち止まる子。
解説を読んで疑問を持つ子。

感じ方はそれぞれですが、それでいいのだと思います。

私自身も、子どもの頃に書道の師匠に連れて行ってもらった大原美術館の記憶が、今でも残っています。
もしかしたら、今回の孫たちにも、何かひとつくらい心に残るものがあったかもしれません。

夏休み最後の倉敷おでかけ。
孫3人との大原美術館は、思っていた以上に楽しい一日になりました。

※展示内容や開館時間は変わることがあります。おでかけ前には、大原美術館の公式情報を確認してから行くのがおすすめです。

2026年6月30日火曜日

ご高齢のお母さまへお誕生日や母の日プレゼントに、スマホという選択

 ご高齢のお母さまへお誕生日や母の日のプレゼントに、スマホはいかがでしょうか。

花やお菓子ももちろんうれしいものですが、離れて暮らす家族とつながれるスマホも、今の時代らしい贈り物かもしれません。

「もう年だからスマホなんて無理」
「80歳を過ぎてから始めるのは難しい」

そんなふうに思われる方もあるかもしれません。

でも私は、90歳を過ぎたご婦人がスマホを使っている姿を見て、本当に驚いたことがあります。

90代のご婦人がスマホでLINEをしていた話

数年前、私は90代半ばのご婦人と相席する機会がありました。

その方は、スマホで写真を撮り、LINEでご家族に連絡していました。

「今、ここに来ています」
「こんなことをしています」

そんなふうに、ご家族へ一生懸命に文字を打っておられたのです。

聞いてみると、ご家族から専用のスマホを渡されていて、出かける時にはLINEで連絡するように言われているとのことでした。

最初は「義務付けられている」と聞くと、少し堅苦しく感じるかもしれません。

でも私は、その姿を見て思いました。

ご家族が心配してくれること。
出かけた先を知らせる相手がいること。
「連絡してね」と言ってもらえること。

それ自体が、きっと嬉しいことなのではないかと。

そのご婦人は、ゆっくりゆっくり、でも一生懸命にスマホを使っておられました。

その時、私はまだガラケーでした

実はその時、私はまだガラケーでした。

90代のご婦人がスマホで写真を撮って、LINEで家族に連絡している。

それを見た私は、心の中で思いました。

「負けとんがな!」

それで一念発起して、私もスマホを買うことにしました。

スマホを買いに行った時に言われた言葉

スマホを買おうと思ってお店へ行くと、店員さんにこう聞かれました。

「スマホを買って、どうするんですか?」

私は少し戸惑いました。

「どうするって、どういう意味ですか?」

すると店員さんは、

「いや、スマホで何がしたいんですか?」

と言われました。

私は答えました。

「写真や動画を撮りたいんです」

すると、少し不思議そうな顔をされて、それならばと機種を紹介してくださいました。

もちろん、店員さんとしては、使い方に合った機種を案内するために聞かれたのだと思います。

けれど、その時の私は少し寂しく感じました。

「年を取った人には、スマホは難しいと思われているのかな」
「何に使うか、ちゃんと言えないと買いにくいものなのかな」

そんな気持ちになったのです。

同級生も同じようなことを言われたそうです

この話を同級生にすると、その人も似たような経験をしていました。

スマホを買いに行った時に、

「何に使うんですか?」
「どうするんですか?」

と聞かれて、思わず引いてしまったそうです。

そして、

「じゃあ、いらないわ」

と言って帰ってしまったと話していました。

お店の方に悪気はなかったのかもしれません。

でも、言葉のかけ方ひとつで、スマホを始めようとしていた気持ちがしぼんでしまうこともあります。

高齢者にとって、スマホを買いに行くこと自体が、少し勇気のいることです。

だからこそ、最初のひと言はとても大切だと思います。

80歳以上のスマホ契約は、事前確認がおすすめ

その後、80歳になるご婦人が、

「スマホを使ってみたいんだけど、この歳では無理かな」

と話しておられました。

私は、90代半ばのご婦人がスマホでLINEをしていた話をしました。

するとその方は、さっそくスマホを買いに行かれたのです。

ところが、お店では年齢のこともあり、ご家族の確認が必要だと言われたそうです。

ご家族は遠方におられるとのことで、とても残念そうにしておられました。

携帯電話の契約には、料金の支払いや機種代金の分割なども関係します。

お店側が慎重になる理由も分かります。

ただ、ご本人に使う気持ちがあるのに、手続きのところで気持ちが折れてしまうのは、少しもったいないなと思いました。

今は、携帯会社や契約内容によって、80歳以上の方には家族同伴をすすめられたり、家族へ確認の電話が入る場合もあるようです。

ですから、ご高齢の方へスマホをプレゼントする時は、先にお店へ確認しておくと安心です。

スマホは、見守りにもなる

スマホは、ただ電話をする道具ではありません。

写真を撮る。
LINEで連絡する。
家族から写真を送ってもらう。
出かけた先から「今ここにいるよ」と知らせる。
災害時に連絡を取り合う。

高齢の方にとって、スマホは家族とのつながりにもなります。

使い方をたくさん覚える必要はありません。

最初は、

「電話に出る」
「LINEを見る」
「写真を撮る」
「家族に一言送る」

それだけでも十分だと思います。

プレゼントするなら、設定まで一緒に

母の日にスマホをプレゼントするなら、本体を渡すだけでなく、最初の設定まで一緒にしてあげると喜ばれると思います。

文字を大きくする。
よく使う連絡先を分かりやすくしておく。
LINEの使い方を紙に書いておく。
困った時に押す場所を決めておく。
充電の仕方を一緒に練習する。

こういう小さな準備があるだけで、スマホへの不安はずいぶん減ります。

スマホそのものよりも、

「分からなくなったら聞いてね」
「一緒に練習しよう」
「写真を送ってくれたらうれしいよ」

そんな言葉の方が、もしかしたら一番のプレゼントかもしれません。

人生100年時代、スマホは若い人だけのものではない

人生100年時代と言われます。

80歳を過ぎても、90歳を過ぎても、新しいことを始める方はおられます。

もちろん、無理にスマホを持たせる必要はありません。

でも、本人が「使ってみたい」と思っているなら、その気持ちは大切にしてあげたいものです。

高齢だから無理。
今さら遅い。
どうせ使えない。

そんなふうに決めつけるのではなく、

「何から始めようか」
「まずはLINEだけやってみようか」
「写真を撮ってみようか」

そんな声かけができたらいいなと思います。

ご高齢のお母さまへの母の日のプレゼントに、スマホ。

それは、物を贈るというよりも、家族とつながる時間を贈ることなのかもしれません。

2026年6月26日金曜日

毛沢東語録を「読みなさい」と言ったお嬢様学校|禁書の時代に教わったこと

あの時代、毛沢東語録は“触れてはいけない本”として多くの学校で禁止されていました。

けれど私の通ったお嬢様学校は、真逆のことを言ったのです。
「買いなさい。読みなさい。生徒を信じています」
その一言で、私の世界は大きく揺れました。
プロレタリア文学、小林多喜二、里村欣三、そして理不尽な大学入試。
今振り返ると、あの高校で過ごした日々は、時代の空気を真正面から吸い込んだ貴重な体験でした。


県下屈指のお嬢様学校で起きていたこと

県下屈指のお嬢様学校でありながら、私の高校には、今思えば驚くような教育方針がありました。

当時は学生運動が下火になりつつあったとはいえ、書店の入り口には毛沢東語録が山積みになり、ベストセラーのように売れていた時代です。多くの学校では「学生運動の再燃につながる」として、毛沢東語録の購入も読書も禁止されていました。私が高校2年か3年の頃のことです。

ところが、我がお嬢様学校は違いました。

「皆さん、毛沢東語録を買いなさい。そしてしっかり読みなさい。
ただし勘違いしないでください。中国がどんな思想を持っているのか、正しく理解しなさい。
私たち教員は、生徒を信じています。読むなと言えば、かえって気になるものです。」

先生方はそう言い切ったのです。

家に帰って話すと、親は驚きました。「どうしてそんな本を?」と。
しかし、私が「学校の先生がこう言った」と伝えると、父は母に向かって「わかった。お前は何も言うな」とだけ言いました。


教科書に載らないプロレタリア文学の授業

国語の授業では、教科書に載っていないプロレタリア文学についても隠さず教えてくれました。作家たちが当時どのような迫害を受けたのか、小林多喜二が取り調べ中に死亡し、荼毘に付した後の遺体から大量の畳針が出てきたことなど、衝撃的な事実も学びました。

先生はこう言いました。

「小林多喜二の『蟹工船』、読む機会があれば読んでみなさい。」

私は探して『蟹工船』を読みました。しかし当時の私は、

「これのどこが国家に反逆する文章なの? 国民の志気を下げるの?」

と、正直よく分かりませんでした。


里村欣三と「我が町」の名前が出た瞬間

授業では里村欣三の話も出ました。四国出身と偽っていたため、警察は長く正体をつかめなかったそうです。ところが実は、我が町の出身だったのです。

先生が地元の名前を口にした瞬間、ぼんやり聞いていた私も思わず目が覚めました。

プロレタリア作家の出身地が知られると、親兄弟まで取り締まりの対象になるため、迷惑をかけまいと四国と偽ったこと。招集令状が来たときも、周囲に迷惑をかけないよう出征し、そのまま戦死したこと。そんな話を教わりました。

もしこの授業がなければ、私は『蟹工船』を読むこともなかったでしょう。


プロレタリア文学を「ふるい」に使った大学入試

さらに驚いたのは、プロレタリア文学を“ある目的”で利用していた大学があったことです。

その大学は、入試の国語で

「プロレタリア文学について知っていることを述べよ」

という問題を出し、答えた受験生を点数に関係なく全員不合格にしたのです。理由は「思想に問題あり」。

当然、私も一緒に受験した友人たちも、十数人まとめて不合格になりました。

後に進学した短大で、その大学の元教授がこう話してくれました。

「学生運動が盛んな頃、どう食い止めるか悩んだ末の苦肉の策だった。
今思えば馬鹿げたことだが、当時は本気でそう考えていた。すぐに廃止した。」

時代とは、なんと不思議で不条理なものかと今でも思います。


苦痛だった高校生活が、今は誇りになっている

当時の私は、背伸びしてやっと入った高校で、言葉遣いもがさつで、周囲になじめず苦痛ばかりでした。

けれど今振り返ると、あの学校は時代に流されず、堂々と「生徒を信じる」と言い切り、隠さず教えてくれた。そんな教育を受けられたことを、今は誇りに思っています。

2026年6月24日水曜日

「勉強しなさい」と言う前に。子どものやる気を奪わない学習環境の作り方

子どもの頃、私は勉強机に座ってきちんと勉強するタイプではありませんでした。

宿題をするにも、本を読むにも、自分の好きな場所の方が落ち着きました。
机ではなく、居間だったり、布団の上だったり、なんとなくその時に気が向いた場所。

親から見ると、きっと「そんなところで勉強して」と思ったのでしょう。
「ちゃんと机でしなさい」と言われて、勉強机に移動したとたん、それまであったやる気がスーッと消えてしまったことを覚えています。

今思えば、勉強机が悪かったわけではありません。
ただ、私にとっては「その場所では気分が乗らなかった」のだと思います。

大人でもそうですよね。
同じ仕事でも、台所のテーブルならはかどる。喫茶店なら書ける。静かな部屋より、少し生活音がある方が集中できる。
人によって、集中しやすい場所は違います。

それなのに子どもの勉強となると、つい「勉強は机でするもの」と決めつけてしまいがちです。

「勉強しなさい」は逆効果。でも放っておいても勉強しない

親に「勉強しなさい」と言われると、余計にやる気がなくなった。
そんな経験を持つ人は多いのではないでしょうか。

私もその一人です。

だから自分の子どもには、できるだけ「勉強しなさい」と言わないようにしていました。
自分が言われて嫌だったことは、子どもにも言いたくなかったのです。

ところが、ここが子育ての難しいところです。

「勉強しなさい」と言わなければ、子どもは自分から進んで勉強するのか。
わが家の場合、そう甘くはありませんでした。

親が言えば反発する。
言わなければしない。

では、どうしたらいいのか。

多くの親がここで悩むのだと思います。

勉強を好きにさせたい親心

本当は、親だってガミガミ言いたいわけではありません。

できれば子どもには、勉強を嫌いになってほしくない。
できれば、少しでも「わかった」「できた」「面白い」と感じてほしい。

でも現実には、宿題はある。テストもある。成績も気になる。
親の方が焦ってしまい、つい「早くしなさい」「ちゃんとしなさい」と言ってしまう。

子どものために言っているつもりでも、その言葉が子どものやる気をしぼませていることもあります。

そんな時、以前、篠原菊紀さんの『勉強にハマる脳の作り方』という本を読んで、「勉強は机でしなければならない」という思い込みが少しほどけたことがあります。

今ではその本自体は手に入りにくくなっていますが、子どもが集中できる場所は一人ひとり違う、という視点は今でも心に残っています。

リビングの方が安心する子、親の気配がある方が落ち着く子、少し音がある方が集中できる子。勉強の形は、一つではありません。

私はもう孫がいるような年齢です。
今さら子育ての本を読んでも、と思いながら手に取ったのですが、読んでみると目からウロコの内容がたくさんありました。

好きな場所で勉強してもいい

印象に残ったことの一つが、勉強する場所についてです。

子どもが好きな場所で勉強した方がはかどるなら、無理に場所を指定しなくてもいい。
これは、子どもの頃の私に言ってあげたかった言葉です。

「机でしなさい」
「姿勢よくしなさい」
「静かな部屋でしなさい」

もちろん、それで集中できる子もいます。
でも、すべての子が同じ環境で集中できるわけではありません。

リビングの方が安心する子。
親の気配がある方が落ち着く子。
少し音がある方が集中できる子。
短時間ずつ場所を変えた方が続く子。

勉強の形は、一つではありません。

大切なのは「どこでしているか」よりも、「その子が学びやすい状態になっているか」なのだと思います。

勉強の目的は、点数だけではない

もう一つ心に残ったのは、勉強は何のためにするのか、誰のためにするのかということです。

テストで良い点を取るため。
受験に合格するため。
もちろん、それも大切です。

でも、それだけが目的になってしまうと、勉強は苦しいものになりやすいのではないでしょうか。

本来、学ぶことは「生きる力」につながっていくものです。

知らなかったことを知る。
できなかったことができるようになる。
自分で考える力がつく。
人の役に立てる力が育つ。

そう考えると、勉強は子どもを縛るものではなく、子どもの世界を広げてくれるものなのだと思います。

点数や合格だけを目的にしてしまうと、学ぶ楽しさや、学んだことを人のために使う喜びが後回しになってしまうことがあります。

親としては、そこを忘れないようにしたいものです。

ゲームにハマる力を、勉強にも使えたら

子どもがゲームに夢中になる姿を見ると、親はつい「そんな集中力があるなら勉強に使ってほしい」と思います。

でも、考えてみれば、ゲームには子どもがハマる仕組みがあります。

少し頑張ればクリアできる。
できたら達成感がある。
次の目標が見える。
失敗しても、もう一回やってみようと思える。

勉強にも、こうしたワクワク感や達成感があれば、子どもの向き合い方は変わるのかもしれません。

いきなり長時間勉強させるのではなく、
「ここまでできた」
「昨日よりわかった」
「この問題だけ解けた」
そんな小さな達成感を積み重ねること。

それが、勉強を嫌なものにしない工夫なのだと思います。

親も学ぶ姿を見せる

子どもに「勉強しなさい」と言いながら、親が何も学んでいない。
これは耳が痛い話ですが、子どもは案外よく見ています。

親が本を読む。
わからないことを調べる。
新しいことに挑戦する。
失敗しながら覚える。

そういう姿を見せることも、子どもにとっては大きな学びになるのではないでしょうか。

「勉強しなさい」と言葉で押すより、
「大人になっても学ぶって面白いんだな」と感じてもらう方が、子どもの心に残るかもしれません。

まとめ

子どもに勉強してほしい。
それは多くの親が持つ自然な願いです。

でも、「勉強しなさい」と言えば勉強するわけではありません。
かといって、何も言わずに放っておけば自然に学ぶとも限りません。

大切なのは、子どものやる気を奪わないこと。
そして、その子に合った学び方を一緒に見つけていくこと。

机でなくてもいい。
リビングでもいい。
短時間でもいい。
まずは「わかった」「できた」「ちょっと面白い」と感じられること。

勉強は、子どもを追い詰めるためのものではなく、子どもの世界を広げるためのもの。

そう思えると、親の声かけも少し変わってくるのではないでしょうか。

「勉強しなさい」と言う前に、
この子はどこなら集中できるのか。
何なら少しワクワクできるのか。
どんな時にやる気をなくしてしまうのか。

まずはそこを見てあげることから始めたいと思います。


2026年6月15日月曜日

2分の1成人式と十三参り、そして私が経験した立志式

 最近、「2分の1成人式」という言葉を聞くことがあります。

10歳は、20歳の半分。
だから「2分の1成人式」という考え方も、なるほどなあと思います。

ただ、今は法律上の成年年齢が18歳になりました。
そう考えると、「20歳の半分だから10歳」という説明も、少し時代とずれてきたのかもしれません。

それでも、10歳という年齢は、子どもにとって一つの節目です。
小さな子どもから、少しずつ自分の考えを持つ年齢へ。
親にとっても、「ここまで大きくなったんだなあ」と感じる時期なのかもしれません。

昔は「十三参り」という行事がありました。

数え年で13歳になった子どもが、お寺やお宮にお参りして、知恵を授かるという行事です。
旧暦の3月13日ごろに行われたとも言われています。

女の子は、大人仕立ての着物を肩上げして着ることもあったそうです。
子ども用ではなく、大人に近づくための着物。
その姿にも、「これから大人に向かっていく」という意味が込められていたのかもしれません。

そして面白いのが、帰り道の言い伝えです。

お参りのあと、鳥居や橋を渡り終えるまで振り返ってはいけない。
振り返ると、せっかく授かった知恵を返してしまう。

子どもにとっては、ちょっと怖くて、でも忘れられない行事だったでしょうね。

そういえば、私の時代には、中学校で「立志式」という行事がありました。

当時としては、かなり珍しかったのだと思います。
15歳くらいの年齢で、昔なら元服にあたる年。
もう子どもではなく、自分の行動に責任を持つ年齢なのだというような内容だったと記憶しています。

私はそれを、どこの学校でもあるものだと思っていました。

ところが、卒業して高校や短大へ進学してから、友人に
「立志式、あったでしょう?」
と聞くと、
「何それ?」
という返事が返ってきました。

あれ?
立志式って、普通にある行事ではなかったの?

その時、少し不思議に思ったことを覚えています。

もしかすると、当時の校長先生の考えで行われたものだったのかもしれません。
定年退職前くらいの年齢の先生だったので、昔ながらの節目を大切にしたかったのかな、と今になって思います。

同じ中学校に通った子どもたちは、立志式をしたのかどうか。
今となっては、はっきり覚えていません。

けれど、2分の1成人式、十三参り、立志式。
どれも形は違っても、子どもが少し大人に近づく節目を意識する行事だったのだと思います。

最近は、家庭の形もいろいろです。
学校行事として「親への感謝」を強く出しすぎると、つらい思いをする子もいるかもしれません。

だからこそ、これからの2分の1成人式は、
「ありがとうを言わせる行事」よりも、
「自分の成長を見つめる日」
「これからの自分を考える日」
くらいの形が、ちょうどよいのかもしれません。

十三参りのような昔の行事も、立志式のような学校行事も、今の時代に合わせて見直してみると面白そうです。

10歳、13歳、15歳、18歳、20歳。
節目の年齢はいろいろあります。

けれど本当に大切なのは、年齢そのものよりも、
「自分はこれからどう生きていくのか」
を少しだけ考える時間なのかもしれません。

子どもが少しずつ大人になっていく姿を、周りの大人が静かに見守る。

本当は、それだけで十分すてきな行事なのだと思います。

2026年6月8日月曜日

阪神・淡路大震災の記憶|今も1月16日の夜に眠れなくなるという話

 

阪神・淡路大震災の記憶|今も1月16日の夜に眠れなくなるという話

1995年1月17日、午前5時46分。
淡路島北部を震源とする、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生しました。

後に「阪神・淡路大震災」と呼ばれることになる、あの大きな地震です。

この地震の体験談を、ある方から聞いたことがあります。

その方は、朝方、突然のすさまじい音と揺れの中で目を覚ましたそうです。
何が起きているのか分からず、ただ恐ろしくて布団をかぶっていたといいます。

しばらくして音が少し落ち着き、そっと布団をのけると、顔の上に何かが覆いかぶさっていたそうです。
それを払いのけて目を開けると、目の前には満天の星空。

「ここはプラネタリウムなのか?」
一瞬、本当にそう思ったそうです。

体を起こすと、今度は目の前に屋根瓦が見えた。
家の中にいたはずなのに、空が見えて、屋根瓦が目の前にある。

何が起きたのか。
自分はどこにいるのか。
すぐには状況が飲み込めなかったといいます。

やがて父親が大きな声で家族の無事を確認しました。
けれど、家はすでにがれきのような状態。
家族は声を掛け合いながら、互いの居場所を確認するしかなかったそうです。

4人家族のうち、自力で外に出られたのは2人だけ。
残る家族は、声だけを頼りに、どのあたりに生き埋めになっているのかを探すしかありませんでした。

無事だった近所の方々の手を借り、ジャッキも使いながら、ようやく救出できたそうです。

その後、少し離れた知り合いの家へ避難する道中で、さらに不思議な感覚に襲われたといいます。

「え? 車が走っている」
「バスが走っている」
「電車が動いている」

自分のいた場所では、家が壊れ、家族が生き埋めになり、生死の境にいた。
それなのに、少し離れた場所では、まるで日常が続いているように見える。

一体この国はどうなっているのだろう。
頭の中が混乱して、現実をうまく受け止められなかったそうです。

避難先でも、足音がパタパタと響くだけで「また地震ではないか」と身構えてしまう。
そんな状態が長く続いたと聞きました。

そして今でも、1月16日の夜になると、なかなか寝つけないそうです。

この話を聞いた時、地震というものは、揺れが収まったら終わりではないのだと感じました。
家が壊れる。暮らしが壊れる。
そして、心の中にも長く残り続ける。

私自身も、あの日のことはよく覚えています。

我が家は岡山県と兵庫県の県境に近い場所にあります。
海の埋め立て地に建っているため地盤がゆるく、大型トラックが通るだけでも家が揺れることがあります。

そのため、普段から震度1や2くらいの揺れには、あまり驚かなくなっていました。

当時、私は鉄筋コンクリート3階建ての3階で寝ていました。
地震が起きた時、3階は相当揺れました。

揺れるというより、家ごと動いているような感覚でした。

まるで蒸気機関車の客車の中にいるような、
ガッタンゴットン、ガッシャンゴッションという大きな音。

「ここは家の中よな?」
「家ごと流されているのではないか?」
「このままどこかへ運ばれていくのではないか?」

そんなふうに思ったほどです。

幸い、私の住む地域では大きな被害にはなりませんでした。
けれど、地震と聞くと、今でもあの朝の揺れと音を思い出します。

阪神・淡路大震災から長い年月が過ぎました。
それでも、体験した人の中には、今もその前夜になると眠れなくなる人がいます。

災害の記憶は、年月だけでは消えない。
だからこそ、聞いた話も、自分の記憶も、できるだけ残しておきたいと思います。

※この記事は過去に書いた文章をもとに、現在の表現で整え直したものです。

2026年6月4日木曜日

「賢いね」より「頑張ったね」子どもの心に届く褒め方

褒め方ってむつかしい。「賢いね」より「頑張ったね」

以前テレビで、子育ての「褒め方」についての話を見たことがあります。

子どもは褒めて育てましょう、とはよく聞きます。
でも、褒め方によっては、子どもの受け取り方が少し変わってくるらしいのです。

たとえば、つい言ってしまいそうな言葉。

「賢いね」

えええっ。
私、普通に言ってるよ……と思いました。

でも番組では、「賢いね」と能力を褒められると、子どもは無意識のうちに「賢い自分でいなければ」と感じることがある、と説明されていました。

そうなると、失敗しそうなことや難しいことを避けて、自分ができることばかり選ぶようになる場合もあるそうです。

それよりも、

「頑張ったね」
「最後までやってみたね」
「難しかったのに工夫したね」

というように、努力したことや取り組み方を見て褒めるほうが、次も挑戦してみようという気持ちにつながりやすいのだとか。

なるほどなあ、と思いました。

言葉かけって本当にむつかしいですね。

一生懸命頑張っている人が落ち込んでいる時に、励ますつもりで「頑張れ」と言っても、相手にとっては負担になることがあります。

でも、

「今までよく頑張ったね」

と言われたら、少し気持ちが楽になるかもしれません。

子どもにも、大人にも、言葉は思っている以上に届きます。

「すごいね」
「えらいね」
「賢いね」

そんな言葉も悪いわけではないけれど、そこにもう一言、

「頑張ったね」
「工夫したね」
「あきらめなかったね」

を添えられたら、もっとあたたかい褒め言葉になるのかもしれません。

頑張ったね。

これは、子どもにも大人にも使える、魔法の言葉かもしれませんね。

2026年6月1日月曜日

「昔の化粧刷毛から生まれたメイクブラシ|ファンデーションを自然になじませるコツ」

 

スポンジでファンデがムラになる人へ。化粧刷毛風メイクブラシを使ってみた話

「化粧刷毛(けしょうばけ)」ってご存じですか?

昔の日本女性は、化粧油を肌になじませたあと、おしろいを水で溶いて、刷毛で顔に塗っていました。

今では、純和風の花嫁化粧や、舞妓さんの化粧、日本舞踊の舞台化粧、歌舞伎の世界などで使われることが多い道具です。

そんな昔ながらの化粧刷毛のよさを、現代風に取り入れたようなメイクブラシがあります。

私が以前使っていたのは「matoi」という商品でした。
筆の製法で作られていて、人造毛を使用しているメイクブラシです。

人造毛といっても、毛はやわらかく、肌に当ててもチクチクしにくいのが印象的でした。

密度があり、ほどよい弾力もあるので、ファンデーションを自然になじませやすいブラシです。

パウダリーファンデーションにも、リキッドファンデーションにも使えるところが便利でした。

スポンジでファンデーションをつけると、どうしてもムラになったり、上すべりしたりすることがあります。
特に、年齢とともに肌のキメが気になってきたり、毛穴が目立ちやすくなったりすると、スポンジだけでは仕上がりに満足できないこともあります。

そんなとき、メイクブラシを使うと、ファンデーションを薄く均一になじませやすくなります。

パウダリータイプの場合は、塗るというより、ポンポンとやさしくたたくようにのせていきます。
力を入れすぎず、少しずつ広げるのがコツです。

リキッドタイプの場合は、まず顔の中心にファンデーションを少量ずつ置きます。
おでこ、頬、鼻まわり、あごなどにチョンチョンとのせてから、ブラシでやさしく広げていきます。

このときも、ゴシゴシこするのではなく、軽くすべらせるような気持ちでなじませると、自然な仕上がりになります。

ワンポイントとしては、ファンデーションは顔全体に同じ厚さで塗らないこと。

顔の中心を少し丁寧にカバーして、外側へ向かうほど薄くしていくと、自然なグラデーションができます。
厚塗り感が出にくく、顔に立体感も出やすくなります。

スポンジでファンデーションをつけるとムラになりやすい方、毛穴が気になる方、肌のキメが少し荒く見えるようになってきた方には、メイクブラシを一度試してみる価値があると思います。

昔ながらの化粧道具の知恵が、今のメイクにもつながっていると思うと、ちょっと面白いですね。


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2026年5月31日日曜日

「シャンプーの成分表示の見方|成分は多い順?保湿成分を見るときの注意点」


シャンプーやリンスの成分表示、どこを見ればいいの?

昔のブログ記事を整理していたら、シャンプーやリンスの成分表示について書いた短い記事が出てきました。

今見ると、文章は短いのですが、内容としては今でも役に立つものでした。

スーパーやドラッグストアでシャンプーやリンス、トリートメントを選ぶとき、パッケージにはいろいろな言葉が並んでいます。

「うるおい成分配合」
「保湿成分○○入り」
「髪にやさしい」
「しっとりまとまる」

こういう言葉を見ると、つい良さそうに感じますよね。

でも、もう少しだけ裏側の成分表示を見ると、その商品がどんな作りになっているのか、少しだけ見えてきます。

成分表示は、原則として多い順に書かれている

シャンプーやリンスなどの化粧品には、成分が表示されています。

たとえば、

成分:水、ココイルグルタミン酸TEA、ラウラミドDEA、ポリクオタニウム-10……

というような表示を見たことがあると思います。

この成分表示は、原則として、その商品に多く使われている成分から順番に書かれています。

つまり、最初の方に書かれている成分ほど、その商品に多く含まれているということです。

シャンプーの場合、たいてい最初に「水」と書かれています。
これは、シャンプーの大部分が水でできているからです。

その次に洗浄成分や泡立ちを助ける成分、髪の手触りを整える成分などが並んでいきます。

「保湿成分配合」と書いてあっても、量まではわからない

商品パッケージに「保湿成分○○配合」と書かれていると、なんとなくたっぷり入っていそうな気がします。

でも、実際には「入っている」ということと、「たくさん入っている」ということは同じではありません。

たとえば、同じように「保湿成分○○配合」と書かれている商品が2つあったとします。

片方の商品では、その成分が成分表示の前の方に書かれている。
もう片方の商品では、かなり後ろの方に書かれている。

この場合、前の方に書かれている商品の方が、その成分の配合量が多い可能性があります。

もちろん、成分の働きは量だけで決まるわけではありません。
少量でも効果を発揮する成分もありますし、商品の全体の処方によって使用感も変わります。

それでも、成分表示の順番を見ることは、商品選びのひとつの目安になります。

ただし、1%以下の成分は順番どおりとは限らない

ここで注意したいことがあります。

成分表示は原則として多い順に書かれていますが、すべてがきっちり多い順というわけではありません。

配合量が1%以下の成分や着色剤については、順不同で表示してよいことになっています。

つまり、成分表示の後ろの方に並んでいる成分については、どちらが多いかを順番だけで正確に判断することはできません。

ここは大事なところです。

「前の方に書かれている成分は多い可能性が高い」
「後ろの方に書かれている成分は、細かい量まではわからない」

このくらいの感覚で見るのがちょうどよいと思います。

成分表示を見るときの簡単なポイント

難しい成分名を全部覚える必要はありません。

まずは、次のような見方をするだけでも十分です。

最初の方に何が書かれているかを見る。
気になる成分がどのあたりに書かれているかを見る。
「○○配合」という宣伝文句だけで決めず、裏面の成分表示も見る。

これだけでも、なんとなく選んでいた商品を少し冷静に見られるようになります。

たとえば、保湿成分が気になるなら、その成分がどのあたりに書かれているかを見てみる。
髪のきしみが気になるなら、コンディショニング成分が入っているかを見てみる。
香りが苦手な人は、「香料」が入っているかどうかを見る。

こうした見方は、毎日の買い物の中で気軽にできます。

薬用シャンプーや医薬部外品は少し見方が違う

もうひとつ注意したいのは、「薬用」と書かれている商品です。

薬用シャンプー、薬用リンス、薬用育毛剤などは、化粧品ではなく医薬部外品として販売されていることがあります。

医薬部外品の場合は、「有効成分」と「その他の成分」に分けて表示されていることが多く、普通の化粧品とは表示の見方が少し違います。

ですので、薬用と書かれている商品については、まず「有効成分」に何が書かれているかを見るのがポイントです。

ふけ・かゆみを防ぐ、殺菌、抗炎症など、その商品が何を目的にしているかによって、有効成分が決められています。

まとめ:成分表示は、商品選びの小さなヒントになる

シャンプーやリンスの成分表示は、専門的な言葉が多くて、見ただけでは難しく感じます。

でも、全部を理解しようとしなくても大丈夫です。

まずは、

「成分は原則として多い順に書かれている」
「ただし、1%以下の成分や着色剤は順不同」
「気になる成分がどのあたりにあるかを見る」

この3つを知っているだけでも、商品選びの目安になります。

パッケージの表側には、魅力的な言葉がたくさん並んでいます。
でも、裏側の成分表示にも、商品を選ぶためのヒントが隠れています。

毎日使うものだからこそ、なんとなく選ぶだけでなく、少しだけ成分表示も見てみる。

それだけで、自分に合った商品を選ぶ力が少しずつついていくのではないかと思います。

2025年10月19日日曜日

【重要】ブログがBloggerにお引越し!

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孫3人と大原美術館へ。夏休み最後の倉敷おでかけ

孫たちの夏休みも、もう終わりに近づいた頃。 孫3人を連れて、岡山県倉敷市にある大原美術館へ行ってきました。 我が家からは、車でだいたい1時間半ほど。 ちょっとしたドライブを兼ねた、夏休み最後のおでかけです。 行く前は、6年生の孫が、 「美術館なんか、どうでもいい」 というようなこ...